
文学と思想
政治的には領邦に分裂し、経済的には後発国であったドイツが、18世紀、新しい文化と思想、とりわけ、文学と哲学の分野で、世界に誇る偉業を成し遂げた。
文学の新しい潮流はなんと言っても、Sturm und Drang (シュトゥルム・ウント・ドラング) いわゆる「疾風怒涛」で始まる。(直訳すれば、「嵐と衝動」。「疾風怒濤」という訳語の案出者は、ドイツ文学者・高橋健二のようだ)
古典主義や啓蒙主義に異議を唱え、理性に対する感情の優越を主張し、後のロマン主義へとつながっていった。ヘルダーをその理論的な指導者として、ドイツの若い文学者たちが「人間の個性と感性の解放」を大胆に主張した。ゲーテの「若きヴェルテルの悩み」、シラーの「群盗」などの作品でよく知られている。

*古典ラテン語の知識のない庶民には、もはや理解困難なほどにまで変化した口語ラテン語をロマンス語と呼んだ。そのロマンス語で書かれた文学作品が、ロマンスと呼ばれるようになり、ギリシャ・ローマの古典文学の対立概念とされるようになった。
ロマン主義(ロマンティシズム)の語源は、ここにある。従って、ロマン主義の「ロマン」とは、「古代ローマの支配階級&知識階級ではなく、庶民の文化に端を発する」という意味である。
18世紀から19世紀初めにかけてドイツの知識人の間では、ゲーテにせよカントにせよ,国家の枠を超えた普遍的な「世界市民」の意識が強かったのが特徴的である。
その背景には、歴史的な分裂に阻まれて、いまだに統一的な国民国家を形成しえなかったドイツの特殊事情があった。しかしフランス革命からナポレオン戦争にいたる衝撃的な体験は、彼らの多くをして、
コスモポリタン的な理想主義から、ナショナリズムヘと向かわせる転機になった。ドイツのナショナリズムの高揚には、このロマン主義文学が、大きな影響を与えたのである。
この時期、哲学の領域では、カントを祖とし、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルヘとドイツ観念論が展開され、思想界をリードする哲学者・ショーペンハウアー、ニーチェ、ハイデッカーと続くのである。音楽においては、宮廷社会から市民の社会にとびだしたモーツァルトやベートーヴェンが活躍した。

18世紀に始まったこの「ドイツ文化」のフランスと異なる大きな特徴は、
「ドイツが偉大であるのは、驚くべき国民文化が国のあらゆる場所にゆきわたっているからだ。……もしも数世紀来ドイツに2つの首都、ウィーンとベルリン、あるいはただひとつの首都しかなかったとすれば、いったいドイツ文化はどうなっているか、お目にかかりたいものだ」
とゲーテが言うように、ドイツの政治的分裂は、地方それぞれが文化を育み、それが広範な文化の普及を可能にしたことである。
この文化の背景には、文化環境の進展があった。つまり、初等教育の普及、各種雑誌の出版と言うメディアや同業組合など古い結社(共同体)とは全く異なる自由な各種結社(読書協会、農業協会等)がドイツに誕生発展していたことである。